~車両・施設のご案内~

<気動車>

CR70・75形気動車(写真は新製時のものです)

 

1989年(H1)6月4日、JR池北線から第3セクター「北海道ちほく高原鉄道・ふるさと銀河線」の開業に合わせ、㈱新潟鐵工所(現:新潟トランシス)で製造された車体長16m級の軽快気動車(NDC)です。エンジンはニイガタDMF13HSを搭載し、出力は250PS/2000rpmを発生します。1988年(S63)から1990年(H2)にかけCR708両、CR754両の計12両が製造されました。

 

CR70

1988年(S63)から1989年(H1)にかけて8両(CR70-1CR70-8)が製造されました。運転整備重量28t、最高速度は95km/h、定員は102名(座席46名・立席56名)です。

 

CR75

1989年(H1)から1991年(H2)にかけて、イベント仕様車を含む4両(CR75-1CR75-3CR75-101)が製造されました。運転整備重量は28.5t、最高速度は95km/h、主な仕様はCR70形と同様ですが、カラオケやビデオ上映が出来るオーディオ・ビデオ装置が装備されています。定員は100名(座席45名・立席55名)です。CR75-1011990年(H2)に製造されたイベント仕様車で、車内はロングシートで床に専用のカーペットを敷き詰めるとお座敷列車にもなります。また、両側にはシャンデリア風の照明と、オーディオ・ビデオ装置も搭載しています。定員は104名(座席44名・立席60名)です。

 

※このうち、現在りくべつ鉄道に在籍しているのは

CR70-

CR70-8

CR75-

CR75-101

CR75-(999号・通称「黄メーテル」)

CR75-(999号・通称「白メーテル」)

 

以上6両が現役当時のまま動態保存されています。

 

 

 

<保線作業車>

 

 

 

ライナー

 

 

 

 線路の幅を整えるための保線車両です。

 

 

 

バラスト運搬車

 

  

ディーゼル機関車や排雪モーターカーなどに連結して線路の砂利を運搬、または道床に散布するための保線車両です。通称「ホキ」

 

 

 

排雪モーターカー

 

 

毎年2月の「しばれフェスティバル」の前には構内線路の排雪ほか、ゴールデンウイークや7月の鉄道まつりなどのイベントでは、転車台に乗せて方向転換させる「転車でGO」や、ラッセルの羽を広げてるデモンストレーションを行うこともあり、鉄道ファンだけでなく、ご家族連れにも大変好評です。また、トロッコ客車を後部に連結して運転することもあり、りくべつ鉄道の小さな力持ちとして人気です。

 

通称「ハイモ」りくべつ鉄道には 計3両が在籍しています。

(写真は2010年に実施した分線~川上間・線路調査の際に撮影したものです)

<施設のご紹介>

陸別駅構内(池田方より)

 

陸別駅構内(北見方より)

明治43年(1910)の開業以来、陸別駅は網走本線の重要な拠点駅として幾条もの側線が敷かれ、機関庫や転車台・給水塔のほか、保線区など、あらゆる施設が建設整備されました。その当時の面影を残す駅構内は全長500mにも及びます。りくべつ鉄道では、その広い構内をフルに活用し、運転体験・乗車体験・足こぎトロッコ体験など、3つのコースを営業しております。

駅構内のレール

陸別駅の構内は、歴史的で大変貴重な構造物が数多く残されており、まさに北海道の鉄道遺産の宝庫と言っても過言ではありません。

このレールは網走線が1907年(M40)に建設された当時のもので、側面には R.S.W 1907 IRJ と刻印されています。これは 1907年にドイツ・ライン社が製造したもので、駅構内の1~5番線にわたる各所に敷かれています。また、鉄は純度が高いほど錆びにくいと言われていますが、敷設から100年以上経った今も特段の損傷もなく、現役で使われていることから、当時のレールは純度が高く良質なものであることがわかります。

 

 

 

足こぎトロッコ周回路

 

 

 

 

構内の西側に設けられている、足こぎトロッコの周回路線です。コースは1周約400メートル、緑豊かな構内を走る気分は爽快そのもの。5人乗りに改造された新しいトロッコで、ご家族やご友人・カップルなど、愉快な仲間とご一緒に、楽しいひと時をお過ごしください。

 

 

 

 

跨線橋

 

 

 

 

 

 

 

跨線橋内部

1番線と2番線をまたぐ跨線橋は昭和28年に建設されました。陸別駅も戦後の復興による輸送需要の増大に伴い、1番線と2番線には長編成の貨物列車が停車するようになりました。こ線橋は旅客列車を利用する人々が駅舎から2番ホームに向かう際や、2番ホームに降り立った人が駅舎に向かうため、多くの乗客が利用しました。現在も残るこの跨線橋は1993年(H5)の駅舎改築に合わせて銀色に塗り替えられ、2008年(H20)のりくべつ鉄道開業前にも再び化粧直しが施されています。内部は往時の雰囲気を残しつつ照明等が更新され、2006年(H18)の「ふるさと銀河線」廃止当時の新聞記事などを掲示して、来場者の皆様にご覧頂いております。また、銀河線の現役時代は陸別駅2番・3番ホームに掲示されていた「ふるさと銀河線友の会・会員プレート」を跨線橋内部に移設しました。

 

 

 

 

陸別機関庫

陸別駅最初の機関庫は、1910年(M43)の網走線の池田~陸別間の開業に合わせて建設されました。二代目にあたる現存の機関庫は1916年(T5)に建設され、国鉄時代からJRへの移管後も車両の停泊で使用され、乗務員も併設の休養室で仮眠をとって翌朝の乗務にあたっていました。りくべつ鉄道の開業後は車両の修繕・整備などで活用されております。

 

 

 

 

転車台

 

 

 

 

陸別駅北見方、機関庫の裏手にある転車台は、1909年(M42)の網走本線・池田~陸別間の開業前年に大阪の「汽車会社製造合資会社」により建設されています。転車台は国鉄池北線にSLが走っていた1975年(S50)まで、蒸気機関車の方向転換などで使用されていました。

SL列車の廃止後は長らく放置されておりましたが、近年は老朽化が進み、外観の痛みが激しかったため、2009年(H21)に修復工事が行なわれて往事の姿に復元されました。今では現存する転車台では道内最古のものといわれております。

 

この施設は、土木学会の「平成28年度土木学会選奨土木遺産(旧網走線開業時の鉄道施設群)」として、本別町の本別川橋梁と共に選定されました。

http://www.jsce.or.jp/contents/isan/files/2016_01.shtml 

 

 

 

給水塔跡(基礎部分)

 

 

C58と給水塔(右端)

機関庫の手前、転車台へと続く線路の途中に蒸気機関車の給水塔がありました。昭和50(1975)年のSL列車の廃止まで使用されていましたが、その後解体され、現在は基礎部分のみ残っています。

 

 

 

 

旧・陸別線路班詰所

 

 

 

 

1910年(M43)9月の網走線開業に伴い、陸別保線区の業務が開始されました。当時の管轄は池田~陸別間77.4kmの全線におよび、現代のような自動車での移動作業が困難であった当時、駅間の長い区間には各所に「線路班」が置かれ、保線業務の拠点としていましたが、後年は大誉地~釧北国境(現:池北峠)間などの保線業務を担当しました。陸別保線区は1969年(S44)に廃止され「池田保線区・陸別支区」となりました。

 

 

 

 

旧・陸別工務区

 

 

  

この施設は国鉄時代に陸別保線区(のちに保線支区)事務所として昭和40年代に建設され、多くの保線職員が勤務していました。1989年(H1)の北海道ちほく高原鉄道(株)移管後は「陸別工務区」として引き継がれ、2006年(H18)のふるさと銀河線の廃止まで使用されました。

りくべつ鉄道開業後は保線作業の拠点として活用されています。建設当時の外壁は国鉄標準のグレー塗色でしたが、りくべつ鉄道開業前に改修が行われ、外壁は国鉄当時からのホワイト系からブラウンに変更されました。

 

 

 

寛斎車庫

 

 

運転体験「銀河コース」の新設に伴い、金澤踏切北見方の本線上に車両を留置するため2012年(H24)に建設された車両庫です。外観は機関庫など周囲の施設に合わせブラウンとしました。本線運行の際は「金澤信号所」の一部として使用されており、通過の際は踏切の前後で安全確認のための運転停車が行なわれています。

 

 

 

 

寛斎~カネラン間

乗車体験のお客様には、かつての銀河線当時を思い起こさせる懐かしい鉄道風景を、運転体験のお客様には駅構内では味わうことのできない本格的な運転体験をお楽しみ頂いております。途中に標識あり、減速区間あり、新たに建設されたトンネルや国道下を通り抜ける跨線橋など、変化に富んだコースとなっております。

 

 

 

 

カネラン駅

陸別駅と百恋駅の中間に、運転体験コースのお客様用に設置された模擬駅で、乗降用のプラットホームはありません。運転体験のお客様がここで停止目標に合わせて停車し、ドア扱いなどの模擬体験を楽しんでいただいております。

 

 

 

 

百恋駅

 

 

 

 

 

 

 

 

網走本線成功記念碑

運転体験「銀河コース」の新設に併せて、2013年(H25)に松浦踏切の北見方に新設され、運営スタッフの拠点として活用しています。踏切手前には仮設の乗降台が設置されており、主に踏切保安要員の乗降に使用されています。駅舎の外観は今は無き川上駅(池田起点87.2km)をイメージして造られました。現在は踏切保安要員の待機場所として使用されています。また、駅舎横には1911年(M44)に開通時に分線~川上間の線路脇に建立された、陸別町指定文化財の「網走本線成功記念碑」を、この場所に移設し展示しています。

 

 

 

 

百恋~石井間の車窓

百恋~石井踏切間の線路は、利別川に沿って連続カーブが続く風光明媚なコースとなっております。

 

 

 

 

石井踏切

運転体験「新銀河コース」の折り返し点となります。踏切前で停車して陸別方へ折り返します。分線延伸に伴い、保安要員用の簡易な乗降台が設置されていますが、お客様が乗降することはできません。

 

 

 

石井踏切~分線間

石井踏切を出発し、森の中を通り抜けると、国道に沿って一直線の線路に沿って稜々とした山々と、広々とした車窓風景が広がります。

 

 

 

 

石井踏切~分線間の風景

 

 

 

 

分線駅

 

 

 

 

現役時代の分線駅

2021年度より新たに登場した「運転体験・分線コース」の終点です。国鉄時代から現存した旅客駅「分線駅」の跡地であり、保存鉄道として今に残る「ふるさと銀河線りくべつ鉄道」の終点となります。ふるさと銀河線の廃線後にプラットホームが一時撤去されていましたが、2022年度に簡易な乗降台を整備しました。また、線路終端には新たに車両庫を建設し、りくべつ鉄道の新たな運行拠点として活用しています。